TAツアーin大阪3days
大阪公演は昨年も感じたことですが、ホントに気持ちいいほどTAの皆さんが元気!!
言うまでもないことですが、
連日、文字通り隙間がないくらい最後尾まで埋め尽くされていたので、
リハの時よりも確実に酸素の薄さを感じるような会場内でしたが、
TA同士がお互いを思いやる気持ちだったり、譲り合う心意気を持った人たちばかりで、
昨年、ayuがSNSなどで呼びかけていたことをみんなしっかり覚えてるんだなぁ――。
と、またしてもほっこりしちゃったりして。
そんなこともあってか、
大阪初日、私はひとつのことを思い出していました。
今回のツアーでも、昨年同様に日替わりバラードがあることは
TAの皆さんの間でも広まりつつあるんじゃないかと思います。
大阪でも、3日とも違うバラードを歌っていたのですが、
今回は、ayuが1日目に歌った日替わりバラード曲のことについて、
どうしても、書かせてもらいたいなと――。
その曲は「LIFE」
ayuがこの曲を歌ったのは数年ぶり。
日替わり曲は、前もって決まっているワケではないので、
私も当日のリハでその日にayuが何を選んだのかを知るんです。
イントロが流れてきた時、私はワードローブ部屋というayuの衣装を管理している
スタッフの部屋にいたのですが、
「これ懐かしい~!なんてタイトルだったけ?」という、
あるスタッフの言葉でハッし、その瞬間、客席めがけて走り出してました。
浜崎あゆみの楽曲で個人的に思い入れのある曲や大好きな曲は何曲もありますが、
そんな中でも、「LIFE」は、本当に思い出深い曲であり、その思い出の中には
TAの皆さんへの言い尽くせないほどの感謝も含まれている特別な曲―――。
きっと、このレポを読んでくださってるTAの皆さんの中には、
「あぁ、あのことか」と記憶に留めてくださってる方もいるかもしれません。
私も、雑誌の中で、そのことに触れた記事を書いたこともあるので、
読んでくださった方もいると思いますが、
あの時、“彼”にたくさんのパワーを送ってくださったTAの皆さんに
あらためてちゃんと感謝の気持ちを伝える機会がきた。
それが、今なんだと思い、この場をお借りすることにしました。
彼とは、雑誌S cawaiiで、浜崎あゆみをデビュー当時から担当していた編集者、
通称“ばっち”のこと。
彼は、浜崎あゆみというアーティストを、当時の多くの読者と同じようにリスペクトし、
編集者とアーティストという関係以上に、温かな目で彼女を見守り、理解していたひとりでした。
それゆえに彼の作ってきたayuのページは、毎回、手間暇を惜しまず、
ページ予算も制作時間もかかりすぎ!と、上司からよく怒られていたのを覚えてます(笑)。
そんな彼が、若くして、余命数か月という癌告知を受けたのが約9年前の35歳の時。
自分にはもう時間がない――。
そう覚悟した時、彼の中では、
人生の最後に「編集者として何を残したいか」「何を全うしたいか」
その答えは明確でした。
彼が編集者人生の中で、心から誇れるもの。
それは、浜崎あゆみという類まれな時代のアイコンに携わり、
彼女の生き方を通して読者たちに希望や夢を少しでも伝えるという手伝いが出来たこと。
いつもクールな彼が、声を振り絞るようにして電話口で語っていたあの日のことは
今でも忘れられません。
そして、そのことを私はロンドンにいたayuにメールしました。
「ばっちがやりたいと言うことは、なんでも協力する。会社がNGを出したとしても私はやるから何でも言ってと伝えて欲しい」
それがayuからの返事でした。
そして、その言葉通り、彼が望んだ浜崎あゆみの自伝本のための取材時間も実際に
割いてくれました。
残念ながら、闘病のキツさもあり、その本を完成させることは出来ませんでしたが、
彼が残された時間を、前向きに、全力で、生き抜く支えになったことは間違いありません。
ロンドンから帰国したayuが癌に負けないで!と、マスタリングを終えたばかりの
「Mirrorcle World」をスタッフに託してくれ、それを受け取った時の笑顔。
そして「ばっちのために作ったよ」と病院のベッドに横たわる彼の元に届いた「LIFE」を、
お見舞いに来ていたみんなと一緒に聴いた時のこと。
その後も、「あとちょっとだけ」と、モルヒネの投与を拒んでまで、何度も何度も繰り返し聴きながら、ayuがTAのみんなに呼びかけ、「LIFE」のCDRと共に届けてくれた膨大な量の応援メッセージをプリントアウトした分厚いA4紙の束をしっかりと胸に抱き、ひとつひとつのメッセージに目を通し、涙を溜めていた姿―――。
彼は、その数日後の10月9日に天国へ旅立ちました。
大阪3daysは、そんな彼の命日の数日後だったのだと、私は後になって気づいた。
あれから8年の月日が流れ、私のように「うっかり忘れてたよ、ごめん、ばっち」
と思っている人間もいるんじゃないかと思う。
でも、ayuは違った。
泣き腫らした目をしたayuが彼を見送ったあの日から、彼女はこうしてずっと、
人知れずばっちのことを思い出してくれていたんだと思います。
「私が病院にお見舞いに行くと、迷惑がかかるかもしれないから」
と、自分に出来ることを考え、TAのみんなからのメッセージを募ってくれたこと。
そして、その活字たちから溢れるたくさんの想いを胸に、穏やかな顔で彼が旅立てたこと。
私はこの数日、そんな2008年の出来事のことを思い出していました。
そしてayuとTAの関係性についてずっと考えていました。
もしかしたら、いや、きっと、ばっちのことだから大阪の初日はあの会場にいて
ayuとTAのみんなに「ありがとう!」って言っていたんじゃないかなぁ――とか。
ばっちが最後に観た、ayuのライブは2008年のアリーナツアーでした。
あの壮大な船の演出に、すっごいカッコいいじゃん!!!!って、
目を赤くさせながら言ってたな。
彼が今も生きていたなら、私以上に熱く、浜崎あゆみは今世紀のレジェンドだ!と
語りながら今回のTAツアーも観ていただろうし、
こういうファンのために僕らはあるんだ!と、私の肩を叩いていたんじゃないかと思う。
奇跡を起こすんだ―――
LIFEのラストの一行をayuは大阪で歌いませんでした。
きっと思うところがあってのことだったんだと思います。
でもね、
私は、TAのみんなが彼に送ってくれたメッセージは
ayuという人間が起こした奇跡だと思ってます。
そして、これからも、TAとayuはたくさんの奇跡を起こしていけるはず。
私はそう信じているし、
20周年にめがけ、どんなMiracleが起こっていくのか、楽しみでしかたない。
だって、ayuとTAにはそれだけの力があるんだから。
次に、日替わりでayuが「LIFE」を歌うことがあったら、
私は、聴きたいな。
奇跡を起こすんだ――って。
最後になりましたが、
ばっちにメッセージを送ってくれたTAの皆さん、
本当に、本当に、ありがとう。
私が文章でファンの皆さんと通じ合えることが嬉しいように、
雑誌を通じて多くのファンの皆さんと通じ合えたことは、
ばっちの編集者人生においてかけがえのない宝物だったと思います。
決して当たり前じゃない一日、一日を大切に――。
明日からの東京3days、聖地・代々木を超える勢いで楽しんでくださいね!
ツリコ